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お節介は逃避 メサイアコンプレックス

「お節介は逃避なんですよ」先日、Jennyの一期生さんにお伝えした言葉です。

「あなたにはもっとやることあるでしょ? 自分に集中しましょうよ」と。そこはさすが卒業生。「仰る通りです」の一言で受け入れられました(元々ご自身が潔い方でもあります)。

よくね「困った人を助けたい」とか言う人いるのね。そう言う人って大体「いや、お前が困ってるやん!」って言いたくなるような人。問題山積みの人ほど言うのね。「困ってる人を助けたい!」

ボロッボロの服着てガリッガリに痩せてる人が「あなたはお腹が空いてお困りでしょう。 このおにぎりあげます。」ってどうですか?

いや!だから!!お前が!!お困りだろうが!!!!!

こうやって書いてるとちょっと面白いけど、それを見てる人、やられた人はめっちゃ居たたまれないのね。惨めさと痛々しさに。

そう。あんた、惨めで痛々しいのよ(あ、先述の一期生さんのことではないですよ。この方はなんだかんだ余裕があってのことだから)。

え、なんなのなんなの?落ちぶれても誇り高き元上流家庭なの?びんぼっちゃまなの?お洋服は体の前面だけなの??(わからない子は「びんぼっちゃま」でググってね)気付かれてないとでも思ってんの??

人は鏡って言うじゃないですか?人の問題点が目に付く、それが気になる、何かしてあげたくなるってことは、即ち自分に問題があるってことなのですよ。メサイアコンプレックスなんて言い方もありますね。

捨てファニー界隈(お片付け界)でも、「家族に物を処分しろと思う時は、自分のクローゼットを見直せ」って言うんですね。自分がちゃんとしてる時って、人のこと気にならないんですよ。

気付きはするけど、自分に被害さえなければ気にならない。ここポイントね。気付きはするけど、気にならない。

実はこれって経営者の方にこそ多いんです。スタッフの方や身近な方を「救いたい」って相談して来られると、ご自身は影響力も経験もあるから、一見さすがだなって見えてしまうのですが、そういう時に限ってご自身に解決すべき問題があったり、チャレンジしたいことがあるのに二の足を踏んでいたりするんですよね。

人を助けたくなった時、手伝いたくなった時、直した方がいいんじゃない?って思った時。そんな時は必ずあなたは自分の中の何かから逃避しています。