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さんちゃんと私④

私が出産してからは、

初めのうちは時に育児がしんどくて
何度かさんちゃんに愚痴ったりしました。
そんな時、さんちゃんから
「会社を興す」とメールをもらいました。
「パーティーやるから来て。」
と。
行きたい!と思いましたが、
私は子どもを産んだばかりで、
遠出なんか無理だと思いました。
「凄く行きたいけど、
   ちょっと今は難しいです。
   だけど、本当に本当におめでとう!」
また会えるし、
子どもがもう少し大きくなったら
遊びに行こう。そう思っていました。
それからも
メールや電話のやりとりは続きましたが、
下の娘が幼稚園に入るまでの6.7年は
育児で仕事と距離が出来たので、
さんちゃんに相談することも
徐々に減って来ました。
だんだんと、さんちゃんと疎遠になります。
何年かして、
私は電子書籍を出すことになりました。
今から3年ほど前です。
あとがきには、今までお世話になった人の
名前を書くことにしました。
主人と娘達、友達、両親、
表紙をデザインしてくれた友人の会社、
そしてもちろん、さんちゃん。
暫く連絡をしないでいる間に、
なんとなく何かしら結果を出してから
報告しようと考えるようになりました。
「さんちゃん!電子書籍出すよ!」
これなら、久しぶりのニュースとして
自分でも納得出来ます。
あと少しで書き上がる。
出版初日にメールを送ろう。
そう思っていました。
その日は、
テレビで大好きなフィギュアスケートを
観戦していました。
ちょうど羽生選手が史上初の
300点越えをマークして、
一人でテレビの前で悲鳴を上げていました。
「何が起こったんだw」
娘達とお風呂に入っていた主人に
思いっきり呆れられ、
その感動をFBに投稿した後
そのまま他の人達の投稿を見ていました。
「美奈?美奈?どうした?」
私はスマホを持ったまま泣いていました。
「さんちゃんって覚えてる?」
「ああ、セミナーで会った人だよね?」
「……亡くなったって」
そのニュースを
初めて会った日のセミナーの主催者の
投稿で知りました。
「さんちゃん、また会う日まで。
   ありがとう。ありがとう。ありがとう。」
写真は、
笑顔のさんちゃんと主催の先生。
この先生は有名人で、
私がFBで見つけた時は既に
お友達の人数が上限に達しており、
友達申請が出来ませんでした。
もし繋がれていたら、
さんちゃんがいることにも気づいて
さんちゃんのここ最近の状況を
知ることが出来たかもしれません。
さんちゃんは闘病していました。
その様子も、FBに綴られていました。
もし私が、
あとがきにさんちゃんの名前を載せようと
決めた時に連絡していたら、
最期に少しでも話せたかもしれません。
本が出来上がるまで、
あとほんの10日ほどでした。
ああ、そうだ。
会社興したお祝いも、直接言えてない。
あの時、私は本当に行けなかったっけ?
主人や母に相談出来なかったっけ?
助けて貰うばかりで、
やっとこれから恩返しできると
思っていました。
まだ何も返してない。
友達の病気が治ると信じて、私達に
メッセージを書いてと呼び掛けたさんちゃん。
自分は?
さんちゃんは?
「さんちゃんは幸せでいてね」
と言ったら、
「僕はいつも幸せやで」
と言っていた さんちゃん。
なんで?
なんで病気になってるの?
なんで死んでるの?
この1ヶ月後には、
私の父が亡くなりました。
私に
「親に恩返ししようなんて思うな。
   もしもそれでも有り難いと
   思ってくれるなら、
   子どもが生まれた時
   同じようにしてあげたらいい。」
と言ってくれた父でした。
恩返しどころか
最期に改めてお礼を言うことすら
出来なかった経験を
「神様からのギフト」にするには、
さんちゃんから受けた恩を
出来るだけ多く次の人達に
送るしかないよなぁ。
そんなことを考えたりもします。
それでも、このお別れについて
前向きに解釈したり
何か結論づけたりもできません。

今連絡が取れる範囲に
さんちゃんとの共通の友人もいないので、
さんちゃんという人を
誰かと懐かしむことも出来ません。

乗り越えるということが
もう泣かないということだとしたら、
私はまだ乗り越えていません。


ただ、さんちゃんとのことを
書き残したかっただけなので、
何のオチもなくて、
読んでくださった方には
謝らないといけないかもしれません。

ただ、さんちゃんという人がいて
私にとても影響を与えてくれて
まだまだ生きて
たくさんの人を導くはずだったと
誰かに話したくなったのです。
もうすぐ、さんちゃんの命日です。
ずっと私を見守り、導いてくれた
さんちゃん
ありがとう。
読んでくださった皆さま、
ありがとうございました。

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